新卒で海外就職後、独立。慈善事業も行う若きツアーガイド (中川悠希さん/31歳)
2023年10月05日
セブ島在住歴 約10年
学生時代の就活に耐えられず…
飛び出した先はフィリピンでした!
中川悠希/NAKAGAWA YUKI
プロフィール
1992年生まれ、愛媛県出身。大学在学中にセブ島留学を半年経験し、卒業後すぐセブ島に移住。コールセンターで数ヵ月働いた後、日系の旅行会社に転職。現在は独立してツアーガイドとして活躍中です。
日本の“就活”にゾッとした自分がいたんです
日本を出たいと思ったきっかけは大学3年生の12月、就職活動が始まった時。
その時期になっても僕は特にやりたいことが見つからなかったんですが、
周囲が行動し始めてるから、という理由で1回だけ就活生へ向けた会社説明会に行ったんです。
「あーこれは無理だな」って思いましたね(笑)
みんなで同じ服を着て同じ髪型をして、なんか当時の自分にはそれが耐えられなくて。
自分の中で、このまま就活を続けて日本で就職するという選択肢が完全に消えました。
そんな私も早めに進路だけは決めておこうと思って、まずは卒業後に日本を出るために学生のうちに留学に行くことにしました。
ちょうどその頃、セブ島留学が流行り始めていた!
留学といえば行先はアメリカやイギリスが王道でしたが、なんせ費用が高い。
費用はなるべく抑えたかったので調べていたところ、セブ島留学というものを知りました。
その当時は周囲にセブ島留学経験者もおらず、ほとんど知識がない状態でしたが、
テレビなどで見た少ない情報からなんとなく東南アジアの雰囲気は好きだな、行ってみたいなと感じていたこともあり、フィリピン・セブ島のとある語学学校へ行く事に。
初めての海外でしたがその学校の生徒やスタッフはほとんどが日本人ということだったので特に不安を感じる事もなく、企業説明会に行った翌月の1月には留学の申し込みを完了させていました。
留学期間は半年間。その短い期間でセブ島に完全に魅了されてましたね。
人の明るさ、雰囲気のゆるさが心地よく、ここに住みたい!と思うように。
日本に帰国後もその想いは薄れることなく、大学を卒業してからすぐにセブ島に移住しました。
仕事は簡単に見つかったものの…
仕事内容にこだわりがあればそうはいかないと思いますが、
僕の場合は特にこだわりもなく就職したので、当時仕事を見つけるのはかなり簡単でした!
セブ島に仕事で来ても定年まで働く人はなかなか少ないので慢性的に人手不足な企業も多いと聞いたことがあります。
その会社に一応入社はしたものの、まだ大学を卒業したばかりの僕の一番の本音は「働きたくない」。
そのうえ仕事の内容にも特に面白みを感じらず10ヵ月で辞めてしまいました。
辞めてからすぐに、偶然見つけた日系の会社のツアーガイドの求人に興味を持ち応募すると早速働けることになりました。ツアーガイドの仕事を通してフィリピンについてより深く知る機会になりましたし、何より案内したお客さんが喜んでくれるのを一番近くで見れるのが嬉しかったですね。
しばらくその会社で働いた後、独立してフリーランスとして働く事にしました。
自信を持って「順調」とはまだ言えないですが何とか暮らせてますし、自由に動けて何より自分に向いている仕事だと感じるので満足しています。
アフターコロナに向かって
観光業にとって、やっぱりコロナによる影響は大きかったですが、最近は徐々に日本人観光客が増えてきていて嬉しく思います。先日もリピーターのお客さんが来てくれて、一緒に離島へ行きました。14名の団体と久しぶりの大仕事でしたが僕自身もすごく楽しんじゃいました。30代はもっと事業を大きくするのが目標です!
フィリピンで慈善事業も行っているのですが、こちらもこれから大きくしていくのを目標に動いています。今度僕が立ち上げた図書館も完成する予定なんです!長くフィリピンに住んできて、かなり経済が成長した実感がありますが、それにより経済格差が広がっているのも事実。まだまだ貧困層が多いこの土地で自分にできる範囲のボランティアをしたいと思って立ち上げました。
海外転職を悩まれている方へ一言!
僕の周りでもフィリピンで会社員として働いてその後起業した・フリーランスになったというケースをたくさん耳にします。
フィリピンでの起業もそんなにハードルが高くないのかもしれません。
フィリピンの雰囲気はゆるゆとしていて、人もおおらか。
予定通りにいかないことが当たり前で自分の常識が何回も覆されました。でもなんか、気がラクなんですよね。
一度フィリピンに来てみて欲しいです。僕が案内します!(笑)
行先がフィリピンでなくても、何も考えず一度出てみて、そこでやりたい事だったりビジネスチャンスを見つけるのも楽しいんじゃないかと思います。